2017年4月12日水曜日

~ 驚きの後日談 ~

ちょうど新学期になるに合わせてすべての子供たちに新しい服を配ろうということで、お金持ち小学校(←相変わらずの嫌味・ひがみ)のみんなからもらった贈り物を一つの部屋に運び出し、開ける作業を始めた。

きれいにラッピングされた中身は、私には驚きのものばかりだった。

お菓子や食料(米や小麦粉!)、文具、衣料品にまず分ける。
そして一つずつチェックする。
使いかけのノート、履きつぶした靴、汚れたバッグ、破れた服・・・
「ここは体のいいゴミ捨て場か!?」
泣きたくなった。

もちろん中には中古ながらきちんとアイロンがかけられ、まだまだ着られる服もある。
気持ちが伝わるものもある。
ファスナーが壊れただけのかっこいいベスト。
裾の汚れはあるけど質のいい女性物のサリー。
チームユニフォームなどは比較的しっかり出来ていて、多少の汚れはあっても破れはない。
本当にお金持ち(・・・と思われる)人からの贈り物の中には、スパンコールのキラキラした女の子物のドレスや女優さんが着るようなドレスが何十着も入っている箱もあった。
どれも新品ではないけど状態の良いもので、きっとデザインに飽きると次々新調するんだろうな・・と、ひがみ根性丸出しでたたみなおしていく。

あまりに状態の悪いものは捨ててしまおうかと思った。
さすがにこれをもらっても誰も嬉しくないだろうと思うもの。
でも、ここでは食器を洗うにも熱い鍋を掴むときも自転車やバイクを洗うにも着古した服を使う。
だからまだまだ出番はあるのだろうと思い直し、ひとまず箱にしまい直す。

翌日、私は見過ごしてしまったが、校長先生は全ての子供たちに服を配った。
私は1~2枚にとどめて、できるだけ多くの村人に行き渡るようにしてもらいたかったが、写真を見ると一人の子供に4枚も5枚もあげてしまっていた。
それでもまだまだ在庫は減らず、噂を聞きつけた村人が学校へ立ち寄っては服を漁って持っていく日々が続いた。

まだまだ着られる服を、飽きた、と言って捨てる子供がいて、
着古した服を嬉々として着る子供たちがいる。
私は格差問題を目撃しているのかインドの慣習を目にしているだけなのかよく分からない。
エアコン付き小学校に通う生徒は総勢800人。
小さな村で質素な学校に通う子、未だに学校に通えない子も、周辺の村を合わせると1000人くらいいるだろう。
努力や才能は関係ない。生まれながらに決まっている行き先。
子供は子供。元気ならばそれでいい。
ただひとつ。目線は対等であって欲しい。
上から下、下から上、子供の頃からそんな目を持って欲しくない。
ただ前を、キラキラした目で見ていてほしい。
でも、いつかどこかで不公平に気づいたとき、声を上げられる大人になって欲しい。

そのために教育は存在すると思っている。

ちなみに。
米や小麦粉は本当にありがたかった。
毎日20人ほどの食事を提供しているこの学校では、しばしば食べるお米にも困るから。




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