2016年10月16日日曜日

~ 続き ~

校長先生も一緒に来た子供も私も、本当に、全く予想していなかった姿がそこにあった。
帰ってきているなら連絡をくれるはず。
そう信じていたみんなの期待を裏切り、彼はそこにいた。
校長先生も兄弟のように育った子供も、かけたい言葉はたくさんあっただろうが、
彼に発する第一声を私に譲ってくれた。
もしかしたら2度と会えないかも・・・と思っていた子供にとっさにかける言葉は見つからず、
抱きしめることが精一杯だった。

彼のお兄さんにも挨拶する。
穏やかそうな笑顔に見える。
この柔らかな笑顔の裏に狂気が存在する。私には信じられなかった。

私と子供二人は、穴倉のような彼の家の、穴倉のような暗い部屋で話をする。
校長先生は外でお兄さんと話をしている。
誰をもとりこにする弾けるような笑顔は封印され、
寂しそうな、申し訳なさそうな笑顔で私の質問に答える。
彼が強く言葉を発したのは2回。私はこの会話をずっと忘れない。
「学校には戻りたくないの?」
「戻りたいけど、自分が学校に戻ればお兄さんはお母さんを殴る。だから戻れない。」
「これからどんな仕事をするの?」
「garbage work」
賢くて器用で、何を作らせても誰よりも上手だった。
そんな彼が明るい未来を捨て、ごみにまみれようとしている。
これが現実。
良い面ばかりを見て理想を掲げ、子供たちや学校が裏に抱える暗いものを知ろうとしていなかった。
「助けてあげられなくてごめんね。」
こんなときに涙が出て、こんな言葉を発してる自分が心底情けなかった。

穴倉のような部屋の扉のない入り口には、
近所の女性や子供たち12,3人が立ちふさがり、理解できないだろう私たちの会話を聞いている。
みんな怖い顔で私を睨みつけている。
私が彼を誘拐するとでも思っているのだろう。
「早くこの子のお母さんを呼んでらっしゃい!」
リーダー格の女性の鋭いヒンドゥー語が私にも理解できる。
「勝手に連れ去ろうなんて思ってない。幼いころから知ってる彼に、どうしても会いたかっただけだよ。」
もう一人の子供が通訳してくれる。
それを受けて女性たちが激しく私に抗議する。
「私はみんなの敵なんだね・・。」
苦笑いで言う私に子供が言う。
「No,No,彼女たちはあなたに彼を連れて行けと言ってる。
彼には教育を受けさせて明るい未来が必要だとみんな思ってる。」

この時の感動を思い出すと今もまた涙が出、勇気が沸く。
私は子供に言った。
「とりあえず学校に帰ろう。みんな心配してる。このままは良くない。
私がいる3日間だけでも一緒に過ごそう。」

女性たちが道を開け、彼のお母さんが入ってきた。
ぼろぼろのサリーを着て、顔はしわしわだった。
彼のおばあちゃんといっても通用しそうだった。
私が手を握ったとたん、泣き出した。
ずっと苦難を強いられてきた女性の涙は、私なんかのよりも何百倍も重たいと感じた。
「彼の未来を、これからもずっと支えたいと思っています。とりあえず3日間だけ、彼を私に預けてもらえませんか。」
日本語で言えばそんな感じのことを、尊敬をこめて伝えた。
彼女は何度もうなずいてくれた。

お兄さんと校長先生との話し合いは決別し、
校長先生は憤慨してもう一人の子供の家で休んでいるという。
ただ、お兄さんは3日間子供を学校に戻すことには同意してくれた。
私は帰り際、感謝をこめてお兄さんに挨拶をした。
相変わらず柔らかい笑顔だった。

行きは3人だったが、帰りは4人で川を渡った。
私は喜びに浸っていたが、厳しいのはこれからだとわかってる。
校長先生は引き続き、あと2年、子供の面倒を見させてくれと説得を続けるという。
でも子供はすでに、自分は学校からもあらゆる夢からも離れてしまったと思っている。

学校へ着き、2ヶ月ぶりの子供たち同士の再会はなんだかぎこちなかった。
それでも夕方には同じ学年の仲間同士話が弾んでいた。
仲間に加わりたかったけど、ちょっと遠慮した。
でも幸せな光景だった。
私は力尽きた感じになって、何度も何度も、今日起きたことを反芻した。

日本に連れて来ることも含め、私も子供たちの出来る限り明るい未来を作っていけるように努力しようと思っている。

久しぶりの再会


~ 続10月16日 寝る前に今日一日を振り返る ~

昨日、私たちは簡単に今日の予定を立てた。
午前中のほうが彼の家族が家にいる確立が高いというので、
午前中早目の出発を決めた。
校長先生と私と、同じ村出身の子供を一人、連れて行く。

朝、校長先生が子供のお兄さんに電話をかける。出ない。
実はこのお兄さんが、彼を学校に通わせることを許さない。
精神が壊れてしまったお兄さんは、日常的に母親に暴力を振るう。

貧しさから充分な教育が受けられず、
まともな職に就けなかった人たちは時間を持て余し、
安価な密造酒やマリファナに溺れ、どこか別次元の世界で生きるようになる。
学校で暮らす子供の家族にはそういう人たちが多い。
だから母親は、小さな子供を守るために学校へ預けた。

子供たちは安全な学校で、同じ境遇の子供たちと共に学び、成長してきた。
幼くて無邪気だった頃の子供たちを思い出し、
こんな卒業の仕方は絶対にだめだよな、と思う。

集落を抜け、細い小道を延々と歩き、川に出た。
川幅の広さにちょっとたじろぐ。
でも、川を行き交う人たちがいる。
腿まで水かさがあったら諦めようという計画だったけど、
深いところでもひざ上ぐらいに見える。
ズボンをまくり、迷わず足を踏み入れる。
サンダルが砂にめり込んで歩きづらいのでサンダルも脱いだ。

今の学校はスラム街にあるので、スラムの子供たちだけで100人を超えてしまうけれど、
以前の、もう少し町寄りの建物を借りていた時には、この川を渡って学校へ通ってくる子供たちがいた。
あちこちの集落からこのAOZORA SCHOOLに通ってきていた。
それだけ楽しみな場所だったんだ。
そんなことを考えながら、川を渡りきった。

再び緑の小道を歩き、ここ周辺の唯一の学校である建物の横を過ぎ、集落に入る。
突然紛れ込んだ外国人にみんな無遠慮な好奇の目を向け、
私は少し怖かったけれど、できるだけ心を込めて「ナマステ」と挨拶しながら歩く。

目指す子供の家が近づいたとき、
前を歩く子供が驚いたように私を振り返る。
「彼だ。」



~ 10月16日 朝7時。朝食を取りながら物思う ~

今日、家族に連れて行かれてしまった子供の家に行く。
子供はもう、家にはいない。
「どこかに働きに出された。デリーらしい。」
私たちの持っている情報はそれだけで、誰も連絡を取れない。
デリーにいるならば私には会えるチャンスがある。
だからどうしても居場所を知りたかった。

お金でも高級菓子でも女力でも(←残念、これはすでに賞味期限切れ)、
餌になりうるものは何でも差し出すつもりだった。
それでなんとか、心を動かしてはくれないか。

校長先生も、自分のいない間に子供が連れて行かれてしまったことが本当に不本意で、
ただ、とにかく連絡を取り合える状態にして欲しいと頭を下げるつもりだと言った。

子供の家のある村に行くには川を渡らなくちゃいけない。
今年は雨量が多く、川は何度も氾濫し、しばらく彼の家のある村は孤立状態だった。
ここ数日の晴天でどれだけ水量が減ったかわからない。
私たちは川を渡れるんだろうか?

ほかの子供たちもみんな、彼の居場所を知りたがってる。
そんな子供たちに背中を押され、戦地に赴く兵士の気分。

みんなに愛されてた彼の笑顔にもう一度会えるなら、
川なんか泳いででも渡ってやる。


2016年10月10日月曜日

~ チキン ~

大きなお祭りの真っ最中なので「チキンでも食べようか」と提案し、実現した。

子供たちは普段肉は食べない。
食べたいけど、学校には肉を定期的に食べさせてあげるだけの予算がない。
だから時々私のような来訪者が来て振舞わない限り、肉にはありつけない。

この村にも隣町にも肉屋はない。
そもそも、「肉屋」というものがインドに存在するのを見たことがない。
だから私たちは鶏を買う。
校長先生がどういう注文の仕方をしたかわからないけど、
私たちは3羽の鶏を買った。
それを併設の裁き屋さんで「肉の塊」にしてもらう。

大きな柵の中から選ばれた鶏は自分の運命を悟り、騒ぎ、暴れる。
最期には諦めたように悲しい眼をする。
あまり動物好きでない私だけど、鳥は好きな生き物なので、
彼らが肉の塊になっていく姿は絶対に見ない。

鶏からチキンとなったものをひざの上に載せて、バイクで学校へ向かう。
ひざの上がすごく温かくて、切なくなる。

チキンの日は子供たちが張り切って料理をする。
まず丁寧に肉を洗う。
まだ血がこびりついていたりするし、羽がじゃりじゃりすることもあるから。
別の子が大量のチリ、ガーリック、生姜、たまねぎ、パクチーを用意する。
香りの強いものやスパイスなどで肉の臭みを消す。
たっぷりの油で肉や香味野菜を炒め、スパイスと水を加え、最後は蒸し焼きのようにする。
チキンカレーが出来上がった。

みんな手や口の周りをテラテラにしてチキンをむさぼる。
「報われた」なんて鶏が思ってくれるはずもないけど、
チキンカレーは本当に美味しくて、子供たちにとっても特別で、
私も3週間ぶりくらいに口にした肉で、なんだかエネルギーが湧いてきた気がする。
さあ、今日も明日も、頑張るぞ。






2016年10月7日金曜日

~ AOZORA工房始動 ~

お店やイベントで販売するための新商品の製作を、優秀な職人たち(笑)に依頼しました。
何本かの針と糸だけは日本から持ってきたものの、ほとんどの道具を現地で調達。
電気の供給がままならず止まったままファンの下のサウナのような部屋で、
泣きたくなるほど切れないはさみや、
逆にすぐに切れてしまう糸、
錆びていてなかなか布を通さない針を使いながら、
日本はなんと快適で、道具一つ一つのクォリティが高いんだろうと改めて関心。

子供たちの個性に合った役割を与え、流れ作業で作品を仕上げていきます。
ミシンがあれば楽なのだけど、大量生産の必要はないので一針一針思いを込めた手縫いです。
売り物になるような物がいくつ出来上がるかはわからないけれど、
真剣に取り組んでくれる子供たちと一緒に作業するのは、とても満たされた時間です。

完成度の高いものはお店のほか、
アースデイ・相模原中央公園(まだ未定ですが・・)、館山・市場のマルシェで販売予定♪






~ 神の子 アクレシュ ~

住み込みの子供で、アクレシュという子供がいる。
初めて彼に会ったとき、はにかんだ笑顔の中の真っ白な歯と、
恥ずかしそうにそっと握り返してきた手の柔らかさが印象に残っている。

彼は特に貧しい家庭で育ったので、今の環境に心から満足し、感謝しているのがわかる。
年長者の言うことを良く聞き、ひたむきに勉強に取り組み、
料理、洗濯、自転車の修理、手伝いがあれば何でも率先してやる。
新しいことに挑戦するときは、自分のものにするまで諦めない。

その彼の一番の魅力。
それは、いつも体調の優れない人にそっと寄り添うこと。
誰かが頭が痛いといえば額に薬を塗りながらそっとなでる。
身体がだるいといえばマッサージを施す。
誰に頼まれるわけでもなく、いつも必ず、弱ったもののそばにいる。

彼のように心がきれいで、ただただ純粋に弱ったものの回復を祈ることができる、
そんな人が看護や医学の道に進めればいいのに。

医学の道を志したムケッシュもアクレシュのファン。
彼の姿を見て、自分もこんな看護師になりたいと思ったに違いない。
でも彼は、今年の試験に受かることができなかった。
合否の判定方法が不透明で、お金ばかり奪われる選考システムに腹が立つ。

こんな貧しい村に、天使のように美しい心を持った男の子がいる。
たとえ医師や看護師といった肩書きを持つことができなくても、
彼は人を癒すことができる。

今は私の心にこびりついたさまざまな汚いものを、
一生懸命に落とそうとしてくれているように思える。


2016年10月5日水曜日

~学校がきれいになってる!!~

前回この学校を訪れたのは4月。
その時はあちこちが塗装のやり直し中で、使えない教室がいくつもあった。
そして今回。
一歩足を踏み入れると、明るく、伸びやかで、楽しくなるような壁画が目に飛び込んできた。
子供たちの顔もいっそう輝いて見える。
聞けば、7月にマレーシアの語学スクールの先生と生徒が来て描いてくれたのだそう。
こんな田舎のスラム街のような場所にある小さな学校を、良くぞ訪ねてくれたと思う。
とにかく彼らは無機質だった学校に華やかな魔法をかけていってくれた。

今はITの時代。
ここAOZORAスクールの校長先生も学校の様子をFacebookなどで発信し続けているし、
一度でも学校の子供たちに会いに来てくれた外国人がサポーターとなり、
またネットに載せることにより支援の輪が少しずつ広がっているのを感じて嬉しくなる。

それでもまだこの学校はほとんどが海外からの寄付のみで運営されていて
自らお金を生み出すことができていない。
日本のNPO AOZORAが発案したクッキー&ティービジネスで少しずつ回り始めて入るけれど、
まだまだ学校の経営や住み込みの子供たちの生活はままならない。

継続は不可能じゃないか?
何度もそんな話になるけれど、それでも10年、続いてきた。
子供たちの顔を見ると、この場所は無くしてはいけないと思ってしまう。

応援してくれる仲間もいるし、私は私にできることを細々とでも続けていこうと思う。
今回も子供たちに手作業をさせようといろんなアイディアを持ち込んだ。
子供たちは想像以上の熱心さで取り組んでくれる。

お小遣いを弾んでやろうと浮き浮きする。




子供たちの歓迎をもらいました♪




2016年10月3日月曜日

~ インドの現実 ~

ニューデリーです。
今日はガンジーさんの誕生日で国民の休日。
お店がどこも閉まっているので私も自分の仕事を中断し、
青空スクールを卒業してデリーで働いている子供に会うことにしました。

年々肥えていく彼の身体を心配しつつ、
見栄を張って少しお高いレストランに入って彼の食べたいものをオーダーし、
彼の近況に耳を傾け、学校に残っている彼の弟分たちの話になったとき、
愕然とする事実を知らされました。

「一人、また一人と学校を離れようとしている。」

まだ子供たちが幼かった頃、
貧困により彼らを育てられない家族は、
子供を学校に預けました。
子供たちは共に学び、寝食を共にし、共に成長してきました。

高校を卒業するくらいの年齢になって、さあこれから、
彼らは将来を選び、彼らの人生を歩んでいくんだと思っていた矢先、
ある家族が一人の子供を引き取りに来ました。

成長した子供たちは、いまや一家の重要な働き手なのです。
子供たちの家族は大学なんて行ってほしくないのです。
そんな余裕はないのです。
一日も早く働いて、家にお金を入れてほしいのです。
今回突如聞かされた一人の子供の学校離脱で、
初めて、今までに離れて行った何人かの子供の家族を想いました。

「貧しい子供に教育を。」
それはきれいごと、理想論だったのでしょうか。
彼らの家族が貧困から抜け出せない限り、
子供は夢を追うことはおろか、見ることすらできない。

「日本で働きたい」
キラキラした目で話してくれた彼の行方を、誰も知らない。

早く日本に連れてきちゃえばよかった。
悔しくて泣けてきた。