2017年4月10日月曜日

~ 学校交流会 ~

3月末、我がAOZORA SCHOOLに、街のプライベートスクールに通う生徒・先生たち約200人ほどが8台のバスでやって来た。
両校の生徒達が一緒に歌ったり踊ったりして交流を深めたという。
face bookでその情報を知ったときはとても良い話だと思った。
AOZORA SCHOOLに通ってくる子供たちはスラム街に住んでいる子が多く街の様子は知らないし、
街の子供たちにとっても、AOZORA SCHOOLの子供たちの野生的で元気な姿は刺激になっただろう。
先生同士も、きっと教育にかける情熱は同じで、双方に新しい発見や心に響くものがあればいいと思った。

でも、実際に先生や子供たちから話を聞いているうちに、あれ?や、おい!という気持ちが湧いた。

街の子供たちの学校は、普段はエアコン付きの教室で授業を行っているという。
今回乗ってきた8台のバスもピカピカのエアコン付きプライベートバスで、そこら辺のツアー客が乗る旅行会社のバスよりもはるかに立派。スナック菓子やらチョコレートやら着なくなった洋服やらをたくさんお土産に持ってきてくれた。
AOZORA SCHOOLの小さな小さな職員室には、今でもそれらのお土産が溢れかえっている。

写真を見せてもらえば、キラキラしたきれいな服を着た先生たちはみな女優さんや俳優さんのよう。
子供たちも、毎日そんな服着てるの?と思うようなドレス着て。
股の破れたズボンを不慣れな手つきで繕いながら毎日着続けるうちの子たちとの差は歴然。
AOZORA SCHOOLの校長先生は人のいい、器の大きな人だから、
「とてもいい機会だった。」と喜んでるけど、しっかり者の教頭先生は自嘲気味に言ったよ。
「リッチな学校が貧しい学校に社会科見学に来たんだ。」と。
それってどうなのよ?
本当にどうなのよ?
あの子達は見世物じゃない。
スナック菓子やら着なくなった服?
貧しくてかわいそうな子供たちに施しをしてるつもり?

同情するなら金をくれ、だよ。
でもそれよりももっと、
あなた達の金持ちで立派な両親やら俳優みたいな先生たちが気づいてくれればいい。
そして声を上げてくれればいい。
こんな不公平よくないって。

AOZORA SCHOOLは元々もう少し町寄りにあった。
その名の通り、広場に黒板を置いただけのAOZORA教室だった。
でも、「教育を受けたことの無い子供たちに教育を。」という校長先生の強い思いから、オーストラリアの団体や日本人の寄付によりこのスラム街に力強いビルを建て、AOZORA SCHOOLになった。
今でも130人ほどの子供を無償で通わせ、ノートや制服を提供している。
その運営資金や先生の給与のほとんどを寄付でまかなっているため、寄付が滞れば経営は厳しくなり、時々先生たちがボイコットを起こす。
犠牲になるのは子供たち。

何か特別な目標や目的があったり、お金があって他の子と差別化を図りたい親が子供を私立に入れるのは日本も同じ。
でも、お金が無くても子供は小学校へ通う。それは世界中当たり前じゃなくちゃいけない。

インド中で最も識字率が低く、極貧の村をいくつも抱えるここビハール州には、私立・公立の小学校のほか、100あまりのNGO運営による小学校があるという。
その多くは日本などの外国資本の団体。
小さな村を回って教育の大切さを説き、子供を学校へ通わせる役目はいつも外国人が担っている。
そんな中、インド人が中心になって事を興そうとする姿に心打たれ、私は今AOZORA SCHOOLのサポーターになっている。
NGOによる学校は、やはり資金難により廃校になることも多く、子供たちはしばしば行き場を無くす。

お金持ち小学校(←嫌味、ひがみです。)から見学に来た先生たちはとても感動して帰ったという。
それはたぶん、同情の入り混じった、どこか他人事の感動だと私は思う。
やってることは素晴らしいけど、私には関係ないわ。私には出来ないわ。と思わずに、
これを機に現実を直視し、
全ての子供たちに教育が必要であることをあらゆる親に理解させ、
街でブラブラしてる子供たちがいなくなるように、
家業の手伝いで学校に来れないということがないように、
まして、子供の物乞いが生活の支柱になることが絶対になくなるように、
媚を売り慣れた弱弱しい笑顔でなく、はじけるような笑顔が学校中に溢れるように、
公立の学校が増えるよう政府に働きかけ、できるだけ子供間格差をなくし、
この取り残されたようなビハール州を底上げできるように、
教育者であると同時に、真の指導者になってくれればいいなと願うばかり。

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