2017年9月20日水曜日

ボランティア

いつものインターネットカフェでパソコンに向かっていると、隣に来客の気配がした。

私はやることをやって早く学校へ行かなくてはいけないので、隣に座った人がどんな人か確かめもしなかった。すると、

「あら、日本人の方ですか。」

ブータンやチベット人にも見える、少しのっぺりした感じのご婦人が日本語で話しかけてきた。

「お見受けしたところ、お年を召していらっしゃるみたいだけど…」
カチン。
「ボランティアの方なの?」
「どちらでボランティアを?」
「ご家族は?お子さまはいらっしゃらないの?」
「あら、自由の身なのね。だからできるのね。自由の女神。」
カチン。
「どこに泊まっていらっしゃるの?」
「ホテル?ホテルに泊まりながらのボランティアっていうのもねぇ。」
カチン。

そこまで人をカチンとさせておいて、今度は自分の身の上を一方的に話始めた。

「私はねえ、(ブッタガヤの)日本寺でボランティアをしてるのよ。日本のために。VISAが切れてもう20年。息子が亡くなってね、こちらで納骨を済ませて…」
「まだまだ日本人はやることがたくさんあると思いません?戦没者の納骨だってすべて済んだわけではないのよ。だからこうして政府に訴えてるのよ。」
パソコン画面を指差しながら言う。
「あなた戦争は知らないでしょう?」
「もっと日本がしてきたことを償ってからでないとボランティアなんかできないわよ。」

なんとなく、ご婦人が今困っているのだろうこと、誰かに相談し、力になってほしかったのだろうことは理解できた。

今あなたがやるべきことは他国のボランティアではなく、自国の仲間を救うことなんだ、と、暗に言いたかったのだろうことも。

でも、ご婦人の話を聞いてあげるにはすでに私は気分を害しすぎていたし、実際に、本当に時間がなかった。
あいまいに返事をしながら、最後に、

誰が、何に力を注ごうと自由だと思います。

と、それだけを言って逃げるように出てきてしまった。

もっともっと、あれもこれも言ってやりたかった。

毎日日本で働いて税金納めて慎ましく暮らしてお金を貯めて、インドの貧しい子供達にほんのちょっと贅沢をさせてあげるくらいの自己満足があったっていいでしょう。
ボランティア(…のつもりは全くないけど)は、誉められたもんでもないけど、否定される筋合いもないでしょう。と。

でも言わなくてよかったし、いろいろ後悔もあった。

私のような未熟者ではなく、本当に心の成熟した人ならばどういう態度を取ったのだろう?

ご婦人の話に耳を傾け、力になれるようなことを言うのか。…あの状況でそれができたら聖人君子だ。

お話ししたいけど、急いでいるので失礼します。
かな?

なんとなく、関わりたくないな、面倒くさいな、と思ったことに、ほんの少し罪悪感。

彼女は孤独だ。
不安なんだ。
藁にもすがる思いで私に話しかけてきた。
もちろん、私が初めてではないのだろう。
でも未だに彼女はVISAが切れたまま、不法滞在しながら「ボランティア」と名乗っている。

年の頃は60過ぎか。
将来を考えれば不安どころの話ではない。

そこまで考えて、怒りが収まった。
でも、彼女のことはどうしてあげることもできない。
私にも限られた時間の中でやるべきことがある。
それを優先させてもらう。

私の心は、仏教の聖地、ここブッタガヤで、少しは成長したのだろうか。


ただ、この笑顔に会いに行くだけ




0 件のコメント:

コメントを投稿