2017年9月24日日曜日

ドリームキャッチャー

インド人は基本的に自分のことが好き。
うぬぼれが強く、自信家。
そしてとても大きなことを言う。
でもあまり実行はしない。

くよくよしない。
なんとかなるさと思っているので必死にならない。
嫌みを言っても誉め言葉と受けとるくらい前向き。

そんなインド人の典型のような子どもが、AOZORAスクールの卒業生にいる。

幼い頃からチャレンジ精神旺盛で、自己主張が強かった。
「見て見て見て!」
やりたがり、見せたがり、言いたがり。

今ではセルフショットの達人で、毎日自分の写真をSNSで発信するほど自分のことが好き。

低カースト出身の子で、父親はアル中だった上に焼身自殺。
そんな不幸な生い立ちを微塵も感じさせない。

なんでもそつなくこなす器用な子だったし、人懐こくて外国人の友達もたくさんいるし、何しろ前向きで自信家だったので、あまり相談に乗る機会もなかった。
自慢話の多さにちょっとうんざりすることもあったし。(ごめん!)

そして、じっくりと将来について話し合うこともなく、どこからくるのかわからない自信と幅広い交遊関係と、まだ見ぬ世界への好奇心を携えて、AOZORAスクールを卒業した。

もちろん彼はまだ近くに住んでいて、私がブッタガヤを訪れる際には必ず会いに来てくれる。

今回も、私が宿のとなりのレストランで朝食をとっていると必ず現れて、自慢話を中心とした身の上話を延々とし、買い物にも着いてきて、友達に会えば嬉々として私を母親だと紹介する。
彼と一緒にいることが嫌ではないが、朝のひととき、もう少し自分の時間が欲しいと思う。

そしてついに今日、彼の部屋に招待され、ついていくハメに。

道中、ああ、やりたいことがあったんだけどな…と少しげんなり。

でも、彼の精一杯のもてなしと、意外にも丁寧な暮らしぶりに好感を持ち、彼の大切な物を見せてもらったときには心が決まっていた。

いつか彼を日本に連れて来よう。

もともと絵を描くことが好きだった彼は、幼い頃から描き貯めた絵を大切に保管していた。
最近では、ヘナのデザインを暇があれば考え、描いている。

学業至上主義のインド。物作りは教養のない、貧しい人の仕事だと思われている。アーティストでの成功なんて、夢のまた夢。むしろまぼろし。

でも彼は、家庭教師などのパートタイムをこなし、貧しい家族を支えながらデザインを描き続けている。

私の店で、ヘナを描いてくれないかな…

前向きで自信家でくよくよしない。幼い頃には可愛いと思えなかった彼の性格が、急に頼もしく見える。

描き貯めた絵と共に彼が大切にしているもの。
ドイツ人の友人からもらった「ドリームキャッチャー」。

ラムチャラン、君こそがドリームキャッチャーであれ!





2017年9月20日水曜日

ボランティア

いつものインターネットカフェでパソコンに向かっていると、隣に来客の気配がした。

私はやることをやって早く学校へ行かなくてはいけないので、隣に座った人がどんな人か確かめもしなかった。すると、

「あら、日本人の方ですか。」

ブータンやチベット人にも見える、少しのっぺりした感じのご婦人が日本語で話しかけてきた。

「お見受けしたところ、お年を召していらっしゃるみたいだけど…」
カチン。
「ボランティアの方なの?」
「どちらでボランティアを?」
「ご家族は?お子さまはいらっしゃらないの?」
「あら、自由の身なのね。だからできるのね。自由の女神。」
カチン。
「どこに泊まっていらっしゃるの?」
「ホテル?ホテルに泊まりながらのボランティアっていうのもねぇ。」
カチン。

そこまで人をカチンとさせておいて、今度は自分の身の上を一方的に話始めた。

「私はねえ、(ブッタガヤの)日本寺でボランティアをしてるのよ。日本のために。VISAが切れてもう20年。息子が亡くなってね、こちらで納骨を済ませて…」
「まだまだ日本人はやることがたくさんあると思いません?戦没者の納骨だってすべて済んだわけではないのよ。だからこうして政府に訴えてるのよ。」
パソコン画面を指差しながら言う。
「あなた戦争は知らないでしょう?」
「もっと日本がしてきたことを償ってからでないとボランティアなんかできないわよ。」

なんとなく、ご婦人が今困っているのだろうこと、誰かに相談し、力になってほしかったのだろうことは理解できた。

今あなたがやるべきことは他国のボランティアではなく、自国の仲間を救うことなんだ、と、暗に言いたかったのだろうことも。

でも、ご婦人の話を聞いてあげるにはすでに私は気分を害しすぎていたし、実際に、本当に時間がなかった。
あいまいに返事をしながら、最後に、

誰が、何に力を注ごうと自由だと思います。

と、それだけを言って逃げるように出てきてしまった。

もっともっと、あれもこれも言ってやりたかった。

毎日日本で働いて税金納めて慎ましく暮らしてお金を貯めて、インドの貧しい子供達にほんのちょっと贅沢をさせてあげるくらいの自己満足があったっていいでしょう。
ボランティア(…のつもりは全くないけど)は、誉められたもんでもないけど、否定される筋合いもないでしょう。と。

でも言わなくてよかったし、いろいろ後悔もあった。

私のような未熟者ではなく、本当に心の成熟した人ならばどういう態度を取ったのだろう?

ご婦人の話に耳を傾け、力になれるようなことを言うのか。…あの状況でそれができたら聖人君子だ。

お話ししたいけど、急いでいるので失礼します。
かな?

なんとなく、関わりたくないな、面倒くさいな、と思ったことに、ほんの少し罪悪感。

彼女は孤独だ。
不安なんだ。
藁にもすがる思いで私に話しかけてきた。
もちろん、私が初めてではないのだろう。
でも未だに彼女はVISAが切れたまま、不法滞在しながら「ボランティア」と名乗っている。

年の頃は60過ぎか。
将来を考えれば不安どころの話ではない。

そこまで考えて、怒りが収まった。
でも、彼女のことはどうしてあげることもできない。
私にも限られた時間の中でやるべきことがある。
それを優先させてもらう。

私の心は、仏教の聖地、ここブッタガヤで、少しは成長したのだろうか。


ただ、この笑顔に会いに行くだけ




2017年9月15日金曜日

~ 新店舗への道 ~

処分しなければいけない布団で埋め尽くされた部屋。
10年以上も使われていなくて、かび臭かった。

軽トラを借りたり車に詰め込んだり、
ごみ処理場を何往復もして、80組くらいあった布団をすべて片付けた。

やっと顔を出した畳はぼろぼろ。
自分で処分しようと思ったけど、
昔の畳はとても厚く、重く、湿気も含み、
手に負えなかったから畳屋さんに処分してもらった。

畳の下の床もフカフカだった。
床板は丈夫なのに、その下の桟がところどころ外れてた。
でも、床下を覗くと、力強い柱たちが見えて心強かった。
小動物の頭蓋骨が出てきたって、大工さんが言った。

床をはがす作業は自分でやった。
桟を直すのは大工さん。
新しい床板をはめてもらい、自分で床マットを敷く。

以前の店や家から運んだ家具を配置する。
とりあえず、なんとなく、調和が取れている感じに満足する。

ここまでくるのに、いろんな人の手が入り、助けてもらった。
ありがたく、ジーンとする。

これからインドのきらびやかなものたちでコテコテに飾り付けられる前の、
貴重な、落ち着いた部屋。まだまだ道の途中。

こんな中途半端な、くたびれかけた私の住居兼店舗を訪れてくれた人は口々に言う。

 現実逃避したくなったらまた来るね~!

ここは、多くの人にとって非現実の世界であるらしい(笑)。

私にとっては当たり前の日常で、
結構厳しい現実と闘ってたりもするんだけど、
私はそういわれるのがちょっと嬉しい。

疲れたときにふと訪れたくなる場所。
いいじゃない。

まだまだやること盛りだくさん。
鋭気を養うために(吸い取られる?)、
さあ、またインドに行ってきます!