2017年4月17日月曜日

~ 宗教の話を、少し。~

小さい子供たちを何人か連れてブッタガヤの町を観光した。
ブッタガヤは、ブッダが悟りを開いた地(瞑想の末にブッダになった地)として世界的に知られていて、
仏教寺院が点在し、各国の僧侶、信者、巡礼者のほか観光客も多数訪れる。
多くの寺院は開放されていて、朝晩の勤行に参加することも出来る。

日中は40度近くなるので夕方になって出発。
学校のある村からはオートリクシャーで約15分。のどかな農村風景を過ぎてブッタガヤへ。

まずチベット寺院見学。
ちょうど夕方の勤行の時間で、ちびっこを含めた多くのチベタン僧侶が講堂に集まってきた。
私はもともとお経フェチなので、チベット寺院の荘厳な雰囲気と相まってジーンとしながら聴いていた。
うちのちびっ子たちには、何をやってるの?そもそも仏教って?という感じだろうけど、
袈裟をまとった同じ年頃の子供たちがお経に合わせて経典をめくる風景には、何かしら響くものがあったと思う。
チベットでは、家の貧しさから子供を僧侶にし、お寺に預けることが多い。
学校に預けられてる子供たちに近い境遇だし、規律、集団行動、
規模は違えど、子供の頃から定めを背負って・・・と、一人感傷に浸る。

次は新しく出来たタイ寺院へ。
とてもキラキラしたきれいなお寺で、ちょっと仏教の雰囲気には合わない気がするけど、
お寺を立派にすることで観光客や巡礼者が立ち寄り、寄付も増えるのだろうから仕方がない。

そして日本が建てた、通称「ビッグブッダ」へ。
なかなかの盛況具合に誇らしくなる。
10人の弟子たちに見守られて鎮座するその姿はなかなか迫力がある。

薄暗くなってきた頃、ようやく一番の目的である世界遺産「マハボディ寺院」へ。
以前はブッタガヤ滞在中毎朝参拝するのが日課だったけど、最近は学校のこと以外にあまり気が向かず、すっかりご無沙汰してしまった。
子供たちと一緒だったからカメラを構えたり落ち着かなかったけど、
実は湧き上がるような喜び、感動を覚えていた。
お経を唱える僧侶にも祈りを捧げる巡礼者にも瞑想する信者にも、魂が共鳴する感じ。

旅をしていた時、どこへ行っても(特にアジアの国々では)「あなたの宗教は何?」という質問を受けた。
「Nothing」と答えていた20代の頃。
いつから胸を張って「buddist」と言えるようになったんだっけ。
静かに反戦を唱え、中国支配に抵抗するダライラマ法王の透き通った瞳を見た時か?
来世の幸せを願い、五体投地を繰りかえすチベット人を目の当たりにしてからか?
そもそも小学生の頃から仏壇に手を合わせて般若心経を唱えてたんだからバリバリの仏教徒なんだけど(笑)。

通い続けたマザーハウスではキリスト教に従い、イスラムの国ではラマダンも経験した。ここでは毎日ヒンドゥー教徒に囲まれてる。
宗教は奥深く、興味が尽きない。
以前マザーハウスのシスターが、「ジーザスもブッダも、神のような人が考えるのはみな同じ、人々の幸せだけ。
宗教はみなブランチのようなもの。」と言っていた。
最近では自分の血として流れる宗教だけが生き残ればいいと考える人たちがいるのも現実だけど、
いろんな方法、いろんな考え方はあれどこの世の平安を願うものであれば共存できるはずだと私は思う。

すっかり暗くなったブッタガヤ観光。
もう一つだけお寺に寄っていこうと校長先生が言う。
そこは、マハボディ寺院の厳かな雰囲気とはうって変わったきらびやかなヒンドゥー寺院。
カーンカーンカーンと大音量で鐘の音(のようなもの)が鳴り響く中、マイクを持った普通のおじさん(に見える人)が歌うようになにやら唱える。集まった人々は手拍子でリズムを取る。祭られた神は怪獣のよう(ごめんなさい!)。

学校は以前、経営難からオーストラリアの団体に改宗を勧められたことがある。
キリスト教に改宗すればジーザスが救ってくれると。
校長先生を始め、何人かの子供や先生も洗礼の儀式に参加した。
それでもこうしてヒンドゥ寺院の前で手拍子をする校長先生や子供たちを見ていると、やっぱりヒンドゥーの血が流れ続けているのだと感じる。

救済色が強くなるのはちょっとアンフェアだと思う。
生まれた地、育った環境、繰り返される習慣、そして流れる血と魂の共鳴。
宗教はそんなに難しいものではなく、自分の中にすでに存在しているのだ・・・と思ってみたりした。
チベット寺院の勤行風景

ビッグブッダ

暗くなってから観たマハボディ寺院。暗くなってから観ると、昼間とは違った静けさとたたずまいが美しい。

2017年4月14日金曜日

~ AOZORA工房再始動 ~

学校の子供たちにブレスレットを作らせるようになって5年ほどになる。
与えられたものしか身につけることが出来ない、
食べることが出来ない、
そんな子供たちに「お小遣いをあげたい」と思ったのが純粋なきっかけだった。
「お金はもらえるもの」と思わずに、「働いて得るもの」という感覚を身につけて欲しくて思いついた。
もちろんそこには、”店で売れるようになればいいな”という下心もあったけど(笑)。

しばらくは投資、投資の連続だった。
とても売れるようなものはなく、やみくもに数を作っていく子供たちの作品を泣く泣くほどいては石を使いまわしながら、
商品になるものにもならないものにも小さな値段をつけ、買い取っていた。

4年前かな。年頃になり、携帯を持ちたいと望んでいたムケッシュに、いい作品を作れば携帯を買えるくらいの高値で買い取ると約束した。
そのときのムケッシュの作品が今も子供たちに受け継がれている。
彼は、私が買ってきた材料ではなく、お寺の近辺で売られている数珠用の紐と石を自分で買い、
結び目の後始末には火であぶって紐を少し溶かし、解けないようにした。
そして丈夫な、ブッタガヤならではの作品ができあがった。
そのできに本当に感動し、とても満足したのを今でも覚えている。
多少上乗せしたものの、彼は自分の手で携帯代を稼いだ。
今ではだいぶ時代遅れになってしまったあのときの携帯を、彼は今でも使っている。

その後、ハレンダーが独自のデザインとひたむきに取り組む姿勢でいい作品を作り続け、お小遣いを稼いだと同時に、私にとって大きな大きな戦力になってくれた。

正直、価格の安さもあって、子供たちが作ったブレスレットは結構売れる。
もちろん、インドの貧しい子供たちが作っていることを全面的に押し出しているせいもあるが(・・・汚い。笑。)
イベントなどに出店すると、デザインや付け心地も含めて気に入ってくれて、まとめて買ってくれる人も多い。

近年子供たちは成長し、作品は安定し、ほとんど無駄にすることなく買い取った作品を店頭に並べることが出来ている。

しかし昨年、私はムケッシュとハレンダーという二人の大事な職人を(もちろん学校の大切な子供、という意味でも)失った。それでも他の子供たちの成長のおかげで、作品作りに関しては充分カバーできるだろうと思っていた。

そして今回。
3人のかわいらしいちびっ子が参入した。
子供たちの成長にかこつけ、他にもいろんなものを一緒に作ろうと思ってえっちらおっちら欲張って日本から運んできた材料は、すぐにちびっ子たちの遊び道具になってしまった。
また投資からやり直し。
でもいつかは腕のいい職人になってくれるかもしれないと期待しながら、
思い思いに作ってもらっている。
子供たちの作品でお店をいっぱいにすることが、私の夢の一つだから。

そんな中、今年も一人、新たな職人が誕生した。
ひたむきに作品と向き合う姿はかつてのムケッシュやハレンダーを髣髴とさせる。

締め切り間際に誕生した、彼のマスターピース。
私は、これは手放せないな、と思っている。



ダルムラージのマスターピース。こういう作品に出会うとき、湧き上がる喜びを感じる。

2017年4月12日水曜日

~ 驚きの後日談 ~

ちょうど新学期になるに合わせてすべての子供たちに新しい服を配ろうということで、お金持ち小学校(←相変わらずの嫌味・ひがみ)のみんなからもらった贈り物を一つの部屋に運び出し、開ける作業を始めた。

きれいにラッピングされた中身は、私には驚きのものばかりだった。

お菓子や食料(米や小麦粉!)、文具、衣料品にまず分ける。
そして一つずつチェックする。
使いかけのノート、履きつぶした靴、汚れたバッグ、破れた服・・・
「ここは体のいいゴミ捨て場か!?」
泣きたくなった。

もちろん中には中古ながらきちんとアイロンがかけられ、まだまだ着られる服もある。
気持ちが伝わるものもある。
ファスナーが壊れただけのかっこいいベスト。
裾の汚れはあるけど質のいい女性物のサリー。
チームユニフォームなどは比較的しっかり出来ていて、多少の汚れはあっても破れはない。
本当にお金持ち(・・・と思われる)人からの贈り物の中には、スパンコールのキラキラした女の子物のドレスや女優さんが着るようなドレスが何十着も入っている箱もあった。
どれも新品ではないけど状態の良いもので、きっとデザインに飽きると次々新調するんだろうな・・と、ひがみ根性丸出しでたたみなおしていく。

あまりに状態の悪いものは捨ててしまおうかと思った。
さすがにこれをもらっても誰も嬉しくないだろうと思うもの。
でも、ここでは食器を洗うにも熱い鍋を掴むときも自転車やバイクを洗うにも着古した服を使う。
だからまだまだ出番はあるのだろうと思い直し、ひとまず箱にしまい直す。

翌日、私は見過ごしてしまったが、校長先生は全ての子供たちに服を配った。
私は1~2枚にとどめて、できるだけ多くの村人に行き渡るようにしてもらいたかったが、写真を見ると一人の子供に4枚も5枚もあげてしまっていた。
それでもまだまだ在庫は減らず、噂を聞きつけた村人が学校へ立ち寄っては服を漁って持っていく日々が続いた。

まだまだ着られる服を、飽きた、と言って捨てる子供がいて、
着古した服を嬉々として着る子供たちがいる。
私は格差問題を目撃しているのかインドの慣習を目にしているだけなのかよく分からない。
エアコン付き小学校に通う生徒は総勢800人。
小さな村で質素な学校に通う子、未だに学校に通えない子も、周辺の村を合わせると1000人くらいいるだろう。
努力や才能は関係ない。生まれながらに決まっている行き先。
子供は子供。元気ならばそれでいい。
ただひとつ。目線は対等であって欲しい。
上から下、下から上、子供の頃からそんな目を持って欲しくない。
ただ前を、キラキラした目で見ていてほしい。
でも、いつかどこかで不公平に気づいたとき、声を上げられる大人になって欲しい。

そのために教育は存在すると思っている。

ちなみに。
米や小麦粉は本当にありがたかった。
毎日20人ほどの食事を提供しているこの学校では、しばしば食べるお米にも困るから。




2017年4月10日月曜日

~ 学校交流会 ~

3月末、我がAOZORA SCHOOLに、街のプライベートスクールに通う生徒・先生たち約200人ほどが8台のバスでやって来た。
両校の生徒達が一緒に歌ったり踊ったりして交流を深めたという。
face bookでその情報を知ったときはとても良い話だと思った。
AOZORA SCHOOLに通ってくる子供たちはスラム街に住んでいる子が多く街の様子は知らないし、
街の子供たちにとっても、AOZORA SCHOOLの子供たちの野生的で元気な姿は刺激になっただろう。
先生同士も、きっと教育にかける情熱は同じで、双方に新しい発見や心に響くものがあればいいと思った。

でも、実際に先生や子供たちから話を聞いているうちに、あれ?や、おい!という気持ちが湧いた。

街の子供たちの学校は、普段はエアコン付きの教室で授業を行っているという。
今回乗ってきた8台のバスもピカピカのエアコン付きプライベートバスで、そこら辺のツアー客が乗る旅行会社のバスよりもはるかに立派。スナック菓子やらチョコレートやら着なくなった洋服やらをたくさんお土産に持ってきてくれた。
AOZORA SCHOOLの小さな小さな職員室には、今でもそれらのお土産が溢れかえっている。

写真を見せてもらえば、キラキラしたきれいな服を着た先生たちはみな女優さんや俳優さんのよう。
子供たちも、毎日そんな服着てるの?と思うようなドレス着て。
股の破れたズボンを不慣れな手つきで繕いながら毎日着続けるうちの子たちとの差は歴然。
AOZORA SCHOOLの校長先生は人のいい、器の大きな人だから、
「とてもいい機会だった。」と喜んでるけど、しっかり者の教頭先生は自嘲気味に言ったよ。
「リッチな学校が貧しい学校に社会科見学に来たんだ。」と。
それってどうなのよ?
本当にどうなのよ?
あの子達は見世物じゃない。
スナック菓子やら着なくなった服?
貧しくてかわいそうな子供たちに施しをしてるつもり?

同情するなら金をくれ、だよ。
でもそれよりももっと、
あなた達の金持ちで立派な両親やら俳優みたいな先生たちが気づいてくれればいい。
そして声を上げてくれればいい。
こんな不公平よくないって。

AOZORA SCHOOLは元々もう少し町寄りにあった。
その名の通り、広場に黒板を置いただけのAOZORA教室だった。
でも、「教育を受けたことの無い子供たちに教育を。」という校長先生の強い思いから、オーストラリアの団体や日本人の寄付によりこのスラム街に力強いビルを建て、AOZORA SCHOOLになった。
今でも130人ほどの子供を無償で通わせ、ノートや制服を提供している。
その運営資金や先生の給与のほとんどを寄付でまかなっているため、寄付が滞れば経営は厳しくなり、時々先生たちがボイコットを起こす。
犠牲になるのは子供たち。

何か特別な目標や目的があったり、お金があって他の子と差別化を図りたい親が子供を私立に入れるのは日本も同じ。
でも、お金が無くても子供は小学校へ通う。それは世界中当たり前じゃなくちゃいけない。

インド中で最も識字率が低く、極貧の村をいくつも抱えるここビハール州には、私立・公立の小学校のほか、100あまりのNGO運営による小学校があるという。
その多くは日本などの外国資本の団体。
小さな村を回って教育の大切さを説き、子供を学校へ通わせる役目はいつも外国人が担っている。
そんな中、インド人が中心になって事を興そうとする姿に心打たれ、私は今AOZORA SCHOOLのサポーターになっている。
NGOによる学校は、やはり資金難により廃校になることも多く、子供たちはしばしば行き場を無くす。

お金持ち小学校(←嫌味、ひがみです。)から見学に来た先生たちはとても感動して帰ったという。
それはたぶん、同情の入り混じった、どこか他人事の感動だと私は思う。
やってることは素晴らしいけど、私には関係ないわ。私には出来ないわ。と思わずに、
これを機に現実を直視し、
全ての子供たちに教育が必要であることをあらゆる親に理解させ、
街でブラブラしてる子供たちがいなくなるように、
家業の手伝いで学校に来れないということがないように、
まして、子供の物乞いが生活の支柱になることが絶対になくなるように、
媚を売り慣れた弱弱しい笑顔でなく、はじけるような笑顔が学校中に溢れるように、
公立の学校が増えるよう政府に働きかけ、できるだけ子供間格差をなくし、
この取り残されたようなビハール州を底上げできるように、
教育者であると同時に、真の指導者になってくれればいいなと願うばかり。

2017年4月5日水曜日

~ 趣味 ~

「趣味は何ですか?」と聞かれて、はっきりといくつかの答えが出せる人は幸せだと私は思う。

生活の基盤である仕事がありつつ、その他の楽しみごとに費やせる時間・お金・気持ちの余裕、好奇心、チャレンジ精神などが備わっていると思うから。
それに付随して仲間が増えたり知識を得たりと、世界が広がる。
没頭したり気持ちを開放することで明日への活力にもなるだろう。

私はAOZORA SCHOOLの子供たちに、将来の夢を尋ねることは出来ても趣味を尋ねることは出来ない。

幼い頃は夕方になれば毎日クリケットに興じ、土曜日には絵を描いたり色を塗ったりする美術の時間があり、
映画を観るのも車に乗るのも楽しそうだった。
でも大きくなるにつれ現実に直面し、自力では何も出来ないことに気づかされる。
学校で庇護され、管理され、与えられてきたので、自分から何かを掴もうとする意欲に欠けるように思う。
規律と節制を覚え、感謝の気持ちと恩義を忘れず、
こんなに良い子がこの世にいるのかと思うような子供が出来上がる。
もちろん、自由への憧れが強い子供は、どこか早い段階で自立を果たす。

デリーで再会したムケッシュは覇気が無かった。
忙しいのだと彼は言う。
週2回の語学スクールと週2回のアルバイト数時間。
それのどこが忙しいの?

「空いている時間は勉強している。だから時間がないんだ。」

多くの人に支えられ、助けてもらって今の自分があることを自覚した、徹底した禁欲生活。
もともと寡黙で繊細で勉強好きな子供だったけど、でもね。
あなたはまだ20歳前の青年でしょ。
せっかくブッタガヤの田舎の村から大都会デリーに出てきたんだよ。
観光、映画、ショッピング、外食、たまにはしたっていいんだよ。
欲しい本があったらいいなさい。
習い事がしたかったら言いなさい。
母親代わりとしては、もう少し青春を謳歌して欲しいと思う。
その権利は、誰にでもあると思う。

釣りや登山やカラオケやランニング、日本で人気の趣味を真似ることは出来なくても、
何か心休まる時間を、この大都会で彼自身に見つけて欲しい。
勉強以外に心惹かれるものを、探して欲しい。
あなたは多くのチャンスに恵まれた子なんだから。そんなに自分を追い込まないで。

多くの人が仕事以外に生きがいや楽しみを見つけられるようになったとき、
この国の真の発展が見られるようになるのかな。
若い青年を前にしてそう思った。

【AOZORA SCHOOL の子供たちのキラキラした目】





2017年4月1日土曜日

高級ブランドVS小さな工房

私がいつも仕入れに訪れるジャイプルという街は、工芸の盛んな所です。
砂漠地帯に近いので、無味乾燥な風景にも映えるようなキラキラしたアクセサリーやカラフルなファブリックが街を彩ります。

カラッカラに乾燥した空気のなか、暑さにやられ、人や車の多さにやられ、値段交渉に疲れ、消耗した心と身体をほっと休めてくれる瞬間が、工房を訪れるとき。

廃墟のような石造りのビルや、薄暗い倉庫のような場所で、職人さんたちが働いています。中はひんやりしていることが多く、街の喧騒は届かず、職人さんたちがたてる音だけが響く。裸に近い格好で働き続ける職人さんの手仕事を、その体温を、持って帰りたいと思う。

もう1つ、疲れを癒してくれる場所があります。

ちょっと高級な人気ブランドショップです。店内はエアコンが効いていてサービスもよく、接客してくれるお姉さんたちもきれい。
値は張るけど、それに見合う充分なクオリティと繊細なデザインや色使い。プロフェッショナルな仕事がそこにはあります。

ここでいつも葛藤が。

貧しい人たちが働く姿を目の当たりにすれば、小さな町工房からたくさん仕入れたいと思う。
でも、ブランド品と比べてしまうと明らかなクオリティの差。
工房で働く人たちはきっと、ブランド品など目にしたことはないでしょう。働き続け、数を重ねることでお給料がもらえると信じてる。多少大雑把な仕事でも、製品の扱いが乱暴でも、最後の糸の始末はしないままでも、なんとか形にすればお給料がもらえる。

たくさん買ってあげたい。
でもそこには「安かろう、悪かろう」「インドの製品はこんなもの」というレッテルがついて回ります。

そして、もしかしたら、ブランドショップのきらびやかな店内の裏では、同じような職人さんが働いているのかもしれない。やっぱり日の当たらない場所で。

そういうわけで、町工房からある程度買い付け、ブランド品ににもちょいちょい手を出す…という未だに中途半端な仕入れしかできない、私がいます。

…SOMAというブランドの美しいプリンティング


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