2018年6月30日土曜日

原子力発電

灼熱のインドでモノ思う。

私は、日本が原子力発電を続けていくことには賛成ではない。
ごくごく当たり前の素人考えとして、自国で処理できない核のゴミをこれ以上増やすべきではないし、再利用が可能になったところで危険には変わりがないから。

じゃあ輸出はどうなのか。

「日印原子力協定」なるものが締結され、今後原子力関連技術や機器がインドにも輸出されていくのだろう。
これにはたぶん賛否両論あって、「こんな危険なものを輸出して無責任だ」とか、「軍事的に利用される可能性も否定できないし、そもそも世界的に原子力発電はなくしていくべき」という意見もあるだろう。

よーくわかる。
私もそう思う。

でも。

この暑さ。

毎日40度以上あって、電力不足によりファンすら動かない。
子供たちだってとてもとても勉強する気になれないし、事実農村部の多くの学校が休校になる。

暑い国は不利だ、と思う。

意欲が湧かない。

みんなダラダラしてるのは国民性でもあるのだけど、それすらも、「この暑さじゃ仕方ないよな…」と思ってしまう。

寒い国や町も大変だと思うけど、なんでどこも貧しくないんだろう?動けば暖かくなるから働き者が多いのかな?

インド中を見渡して、銀行や病院や郵便局などいわゆる「施設」にエアコンがついているところはまずない。
そんなことしたらホームレスを始め一般の方々まで溜まり場にして涼を取りに来てしまう。

(以前タイの死体博物館に行ったことがある。ミイラや臓器を保管してあるため、たしかエアコンが効いていた。入場料は払った記憶があるが、明らかに見学でない人たちがミイラのそばで涼んでいた!)

電気すらままならないのだから、洗濯機も冷蔵庫もテレビもアイロンもまだまだ普及していない。

13億人が住むこの国で、各家庭のすべてに一般的な家電が揃い、かつ、必要な仕事や勉強ができるように35℃を越えたらエアコンを使えるようにしたとしたら、いったいどれだけの電力が必要なのか。
どうやったらまかなえるのか。

原子力発電ウェルカム。
インドの子供たちと共に、そんな気分になってしまう。

ヘアスタイルが決まらないと言って濡れてもいない髪にドライヤーを当て、
寒いだ冷たいだといって、お尻を温めるために便座に電気を流す我が国はどれだけ国民に過保護なんだ。
と、暑さゆえ愚痴混じりに考える。

あー、暑い。

暑さで日中はこんな感じ

夕方になると嬉しそうに外に出る

2018年6月22日金曜日

システム

「システムを作る」

と言うことがどれだけ大事か、インドにいると痛感する。

様々な分野において、インドの進歩は目覚ましい。

車を所有する人、自身の口座を持つ人などが増え、交通網は発達し、観光客に加え、各地を旅行するインド人も増えた。

しかし秩序がない。
ルールがない。

インドの人口は13億。
人々が皆自由に動き回ったらどうなるか。

大混乱。

近年ようやく道路に信号が増え始め、車もなんとかそれに従うようになってきた。
それでもまだ大きな交差点にはお巡りさんが立ち、ピーピーと笛を吹きながら取り締まりをしている。

センターラインのようなものがあってもみんなはみ出すし、追い越すし、我先に…とカーチェイスさながら。
前の車の後ろについて制限速度で走るなんて事は、この国の人には一生できないと思う。

そして私が身近に、最も不便を感じる場所が2つ。

1つ目は列車のチケット売り場。
地下鉄もしかり。

桁違いの人々が利用するのに発券機がない。
ごくまれに設置されてるのを見かけることもあるけど、ほとんどは1つの窓口に人が殺到し、長い列を作って一人一人行き先を告げて係員に発券してもらう。
嘘でしょ!?という光景の1つ。
さらに、駅に入る度に荷物検査があるので、たかだか地下鉄に乗るだけなのにすごく時間がかかる。
今日本はSuicaなどがあるから、発券機さえあまり使われない。これはすごいことだ。

もう1つは郵便局。
ごくごくまれに、歩いている途中で郵便ポストに出くわすこともあるけど、ほとんど使われてないんじゃないかな。

1枚の郵便物を送るにも窓口に並ぶので、その列と言ったら凄まじい。
重さを量り、切手のようなものを買い、判を押してもらい、料金を支払う。

日本のように何g~何gまではいくらの切手…と周知されていればいちいち窓口に並ぶこともない。
ポストに投函すればいいこと。
ちゃんとポストに回収に来るのか疑問だけど。

日本の宅配便システムのようなものもないので、郵便局の負担は相当なもの。
並んでる時間がもったいない…と思う。
荷物を送るために郵便局に行くときは半日がかり、といつも思っている。

発想の転換というか、
誰かが大きく何かを変えようとしなければなかなか動かないだろう。
この国はまだまだ「これでいい」と思っちゃだめじゃないかと思う。
発展の可能性を、国民が止めてしまってる。
さすがにこの暑い時期、じっと列に並んでるのは誰だって苦痛でしょう?
声を上げようよ。

モディ首相は、各家庭にトイレを設置させる政策を取った。
くだらないけど、ものすごく重要な政策だ。

「ゴミを焼却する」という発想もこの国にはない。
ゴミ貯めのような隠された場所が、この国にどんどん増えている。

「システム」というものが、この国にはなさ過ぎる。
国民の生活に密着し、
効率を考え、不便を減らし、時間を有効に使えるようになればインドももう少し発展していくんじゃないか。
それは日本人的発想なのかな。
いや、もう少し効率を考えたほうがいい。

日本に送る荷物を抱え、汗だくで列に並びながら悶々と考える。

2018年1月30日火曜日

~ その後の一品 ~

フェイスブックで「今日の一品」を紹介するようになってから、その商品がポロポロ売れるようになりました。
そして、その商品目当てに来店してくださる方も増えました。

本当にアドバイス下さった方に感謝です。

ここで、ここ数日間に紹介した品々を、載せておきますね。







やはり、売っているものをただ仕入れるのではなく、売る側のインド事情を理解し、自分の思い入れを吹き込んで日本の皆さんに見ていただく大切さを学びました。

これからも、あくまでも私独自の視点で、インドで関わった人たちとの関係を保ちながら、できるだけインドの生活に密着したもの、刺激を受けたものを中心に仕入れていきたいと思っています。

今月の営業は28日まで。
それ以降の予定に関しては「営業予定のページ」を更新していきますね。

2018年1月20日土曜日

~ 今日の一品 ~

今月は1月8日から28日まで休まず営業しています。

オープンにこぎ着けるまでが必死すぎて、店を開けてからはただただこの空間で幸せを感じながら、誰かがふらりと訪れてくれるのを待つばかりでした。

期待して待っていてもなかなか人が来なかったり、予期せぬ来客が相次いだり、私としては日々充実してると思い込んでいたところへ昨日、カツが入りました。

商品がわからなければ人は来づらいよ!
毎日一品ずつでいいから商品を紹介しなさい。人は、「誰かに取られるかも!」と思うと欲しくなるものなんだから!

と。

この店のことを親身になって考え、人の心理の裏まで読んだアドバイスに脱帽すると同時に、自分の中の努力不足を突きつけられた気分でした。

事実、彼女は人の心にそっと触れ、人を前向きにさせることを生業としている、非常に影響力のある人なので心に響きました。

素直に従うことにし、早速フェイスブックに今日の一品をアップ。

今日の一品はKHADIの石鹸です♪
香りも泡立ちもよく、ナチュラル素材のみで作られた逸品で、私自身虜になっている物です。

こうして紹介していくと、自分の扱う商品ときちんと向き合うことができると感じます。
とりあえず営業中の28日まで続けるとすると、9品紹介できるわけです。
さあ、明日から何を紹介しようか。

数日分の候補をここに載せちゃいます。

1月20日 今日の一品

クリスタルロータス・ゴージャスバージョン

陶器のドアノブ



29日からはお店を閉めて、名実ともに‘’cafe‘’となるべく、キッチンの整備をしたり必要な申請をしたり資格を取るための期間にします。

もしかしたら、勝浦ビッグひな祭りの期間だけは一部解放するかもしれないので、そのときはまたお知らせしますね。

2017年9月24日日曜日

ドリームキャッチャー

インド人は基本的に自分のことが好き。
うぬぼれが強く、自信家。
そしてとても大きなことを言う。
でもあまり実行はしない。

くよくよしない。
なんとかなるさと思っているので必死にならない。
嫌みを言っても誉め言葉と受けとるくらい前向き。

そんなインド人の典型のような子どもが、AOZORAスクールの卒業生にいる。

幼い頃からチャレンジ精神旺盛で、自己主張が強かった。
「見て見て見て!」
やりたがり、見せたがり、言いたがり。

今ではセルフショットの達人で、毎日自分の写真をSNSで発信するほど自分のことが好き。

低カースト出身の子で、父親はアル中だった上に焼身自殺。
そんな不幸な生い立ちを微塵も感じさせない。

なんでもそつなくこなす器用な子だったし、人懐こくて外国人の友達もたくさんいるし、何しろ前向きで自信家だったので、あまり相談に乗る機会もなかった。
自慢話の多さにちょっとうんざりすることもあったし。(ごめん!)

そして、じっくりと将来について話し合うこともなく、どこからくるのかわからない自信と幅広い交遊関係と、まだ見ぬ世界への好奇心を携えて、AOZORAスクールを卒業した。

もちろん彼はまだ近くに住んでいて、私がブッタガヤを訪れる際には必ず会いに来てくれる。

今回も、私が宿のとなりのレストランで朝食をとっていると必ず現れて、自慢話を中心とした身の上話を延々とし、買い物にも着いてきて、友達に会えば嬉々として私を母親だと紹介する。
彼と一緒にいることが嫌ではないが、朝のひととき、もう少し自分の時間が欲しいと思う。

そしてついに今日、彼の部屋に招待され、ついていくハメに。

道中、ああ、やりたいことがあったんだけどな…と少しげんなり。

でも、彼の精一杯のもてなしと、意外にも丁寧な暮らしぶりに好感を持ち、彼の大切な物を見せてもらったときには心が決まっていた。

いつか彼を日本に連れて来よう。

もともと絵を描くことが好きだった彼は、幼い頃から描き貯めた絵を大切に保管していた。
最近では、ヘナのデザインを暇があれば考え、描いている。

学業至上主義のインド。物作りは教養のない、貧しい人の仕事だと思われている。アーティストでの成功なんて、夢のまた夢。むしろまぼろし。

でも彼は、家庭教師などのパートタイムをこなし、貧しい家族を支えながらデザインを描き続けている。

私の店で、ヘナを描いてくれないかな…

前向きで自信家でくよくよしない。幼い頃には可愛いと思えなかった彼の性格が、急に頼もしく見える。

描き貯めた絵と共に彼が大切にしているもの。
ドイツ人の友人からもらった「ドリームキャッチャー」。

ラムチャラン、君こそがドリームキャッチャーであれ!





2017年9月20日水曜日

ボランティア

いつものインターネットカフェでパソコンに向かっていると、隣に来客の気配がした。

私はやることをやって早く学校へ行かなくてはいけないので、隣に座った人がどんな人か確かめもしなかった。すると、

「あら、日本人の方ですか。」

ブータンやチベット人にも見える、少しのっぺりした感じのご婦人が日本語で話しかけてきた。

「お見受けしたところ、お年を召していらっしゃるみたいだけど…」
カチン。
「ボランティアの方なの?」
「どちらでボランティアを?」
「ご家族は?お子さまはいらっしゃらないの?」
「あら、自由の身なのね。だからできるのね。自由の女神。」
カチン。
「どこに泊まっていらっしゃるの?」
「ホテル?ホテルに泊まりながらのボランティアっていうのもねぇ。」
カチン。

そこまで人をカチンとさせておいて、今度は自分の身の上を一方的に話始めた。

「私はねえ、(ブッタガヤの)日本寺でボランティアをしてるのよ。日本のために。VISAが切れてもう20年。息子が亡くなってね、こちらで納骨を済ませて…」
「まだまだ日本人はやることがたくさんあると思いません?戦没者の納骨だってすべて済んだわけではないのよ。だからこうして政府に訴えてるのよ。」
パソコン画面を指差しながら言う。
「あなた戦争は知らないでしょう?」
「もっと日本がしてきたことを償ってからでないとボランティアなんかできないわよ。」

なんとなく、ご婦人が今困っているのだろうこと、誰かに相談し、力になってほしかったのだろうことは理解できた。

今あなたがやるべきことは他国のボランティアではなく、自国の仲間を救うことなんだ、と、暗に言いたかったのだろうことも。

でも、ご婦人の話を聞いてあげるにはすでに私は気分を害しすぎていたし、実際に、本当に時間がなかった。
あいまいに返事をしながら、最後に、

誰が、何に力を注ごうと自由だと思います。

と、それだけを言って逃げるように出てきてしまった。

もっともっと、あれもこれも言ってやりたかった。

毎日日本で働いて税金納めて慎ましく暮らしてお金を貯めて、インドの貧しい子供達にほんのちょっと贅沢をさせてあげるくらいの自己満足があったっていいでしょう。
ボランティア(…のつもりは全くないけど)は、誉められたもんでもないけど、否定される筋合いもないでしょう。と。

でも言わなくてよかったし、いろいろ後悔もあった。

私のような未熟者ではなく、本当に心の成熟した人ならばどういう態度を取ったのだろう?

ご婦人の話に耳を傾け、力になれるようなことを言うのか。…あの状況でそれができたら聖人君子だ。

お話ししたいけど、急いでいるので失礼します。
かな?

なんとなく、関わりたくないな、面倒くさいな、と思ったことに、ほんの少し罪悪感。

彼女は孤独だ。
不安なんだ。
藁にもすがる思いで私に話しかけてきた。
もちろん、私が初めてではないのだろう。
でも未だに彼女はVISAが切れたまま、不法滞在しながら「ボランティア」と名乗っている。

年の頃は60過ぎか。
将来を考えれば不安どころの話ではない。

そこまで考えて、怒りが収まった。
でも、彼女のことはどうしてあげることもできない。
私にも限られた時間の中でやるべきことがある。
それを優先させてもらう。

私の心は、仏教の聖地、ここブッタガヤで、少しは成長したのだろうか。


ただ、この笑顔に会いに行くだけ




2017年9月15日金曜日

~ 新店舗への道 ~

処分しなければいけない布団で埋め尽くされた部屋。
10年以上も使われていなくて、かび臭かった。

軽トラを借りたり車に詰め込んだり、
ごみ処理場を何往復もして、80組くらいあった布団をすべて片付けた。

やっと顔を出した畳はぼろぼろ。
自分で処分しようと思ったけど、
昔の畳はとても厚く、重く、湿気も含み、
手に負えなかったから畳屋さんに処分してもらった。

畳の下の床もフカフカだった。
床板は丈夫なのに、その下の桟がところどころ外れてた。
でも、床下を覗くと、力強い柱たちが見えて心強かった。
小動物の頭蓋骨が出てきたって、大工さんが言った。

床をはがす作業は自分でやった。
桟を直すのは大工さん。
新しい床板をはめてもらい、自分で床マットを敷く。

以前の店や家から運んだ家具を配置する。
とりあえず、なんとなく、調和が取れている感じに満足する。

ここまでくるのに、いろんな人の手が入り、助けてもらった。
ありがたく、ジーンとする。

これからインドのきらびやかなものたちでコテコテに飾り付けられる前の、
貴重な、落ち着いた部屋。まだまだ道の途中。

こんな中途半端な、くたびれかけた私の住居兼店舗を訪れてくれた人は口々に言う。

 現実逃避したくなったらまた来るね~!

ここは、多くの人にとって非現実の世界であるらしい(笑)。

私にとっては当たり前の日常で、
結構厳しい現実と闘ってたりもするんだけど、
私はそういわれるのがちょっと嬉しい。

疲れたときにふと訪れたくなる場所。
いいじゃない。

まだまだやること盛りだくさん。
鋭気を養うために(吸い取られる?)、
さあ、またインドに行ってきます!